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久保田横見神社。比企郡吉見町久保田の神社

久保田横見神社の概要

久保田横見神社は、比企郡吉見町久保田にある神社です。久保田横見神社は、建長年間(1249-1256)に起きた大洪水により御所の横見神社が当地に漂着、当地に鎮座していた愛宕社を末社として、御所の横見神社の旧称より飯玉神社と称していたといいます。明治4年村社に列格、社号を御所の横見神社に倣って横見神社と称したといいます。

久保田横見神社
久保田横見神社の概要
社号 横見神社
祭神 素戔嗚尊・稲田姫命・宇賀御魂命
相殿 -
境内社 愛宕社、八幡社、八坂社、稲荷社
祭日 例祭10月9日
住所 比企郡吉見町久保田117
備考 -



久保田横見神社の由緒

久保田横見神社は、建長年間(1249-1256)に起きた大洪水により御所の横見神社が当地に漂着、当地に鎮座していた愛宕社を末社として、御所の横見神社の旧称より飯玉神社と称していたといいます。明治4年村社に列格、社号を御所の横見神社に倣って横見神社と称したといいます。

新編武蔵風土記稿による久保田横見神社の由緒

(久保田村)
飯玉明神社
當村及び上下細谷・御所・中新井・谷口・和名・小新井等の八村の鎮守なり、神體は石劔なり、當社は元御所村なりしが、水災に逢て漂着せしを、取上て爰に祀とて、此地そのかみ愛宕社地なりしが、今は衰て却て末社となれし、無量寺持、
末社愛宕社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による久保田横見神社の由緒

横見神社<吉見町久保田一一七(久保田字赤城)>
久保田は北境を主要地方道である東松山鴻巣線が走り、集落は自然堤防上にほぼ分布している。『郡村誌』に「平坦運輸便利」と記され交通の便が良かったものの「時々水旱に苦しむ」ことがあった。
当社の創建は水害にかかわっている。『風土記稿』には旧社号の飯玉明神社として「当社は元御所村なりしが、水災に逢て漂着せしを、取上て爰に祀とて、此地そのかみ愛宕社地なりしが、今は衰て却て末社となれり、無量寺持」と記されている。社伝によれば、これは建長年間(一二四九-五六)に起きた大洪水の際の出来事と伝え、窪田村(当時)に流着した神体を貴い神の来臨と考えて祀り、洪水の被害後の村の復興のために豊作が祈られたという。
無量寺は新義真言宗の寺で息障院の末寺である。「新井家文書」の寛政十年(一七九八)の記録によれば、祭祀・管理費を通常は別当である同寺に負担してもらっていたが、総鎮守として社殿修復費が多額になる時があり、その際には村持ちの田地を同寺に譲渡して村民が負担している。こうした村掛かりは当然のことであったとしても、別当掛かりのままにしないという心意気が汲み取れるであろう。
当社の社号は旧社号とも、本社である御所の横見神社に倣っており本社が明治初年に改称したことから、当社も明治四年の村社列格を機に同社号に改めている。「埼玉の神社」より)


久保田横見神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)