伊波比神社。比企郡吉見町黒岩の神社

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伊波比神社。延喜式内社盤井神、岩井神社、岩井八幡

伊波比神社の概要

伊波比神社は、比企郡吉見町黒岩にある神社です。伊波比神社は、和銅年間(708-715)に創建、嘉祥2年(849)に従五位下に叙せられ、貞観元年(859)に盤井神として官社に列格した、平安時代の延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている社です。出雲伊波比神社(毛呂山町出雲伊波比神社寄居町出雲伊波比神社)との関連で、武蔵国造の遠祖を斎い祀る出雲系の神が主祭神ではなかったかといいますが、源範頼の子孫吉見氏の崇敬により八幡神を併せ祀り岩井八幡と称していたのではないかと推測されています。江戸期には岩井神社、岩井八幡と称して黒岩村の鎮守社として崇敬され、明治40年字立石に鎮座していた岩崎大明神社を合祀しています。

伊波比神社
伊波比神社の概要
社号 伊波比神社
祭神 建速須佐之男命、櫛稲田比賣命
相殿 -
境内社 岩崎神社
祭日 新年祭1月2日、夏祭7月10日
住所 比企郡吉見町黒岩347
備考 -



伊波比神社の由緒

伊波比神社は、和銅年間(708-715)に創建、嘉祥2年(849)に従五位下に叙せられ、貞観元年(859)に盤井神として官社に列格した、平安時代の延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている社です。出雲伊波比神社(毛呂山町出雲伊波比神社寄居町出雲伊波比神社)との関連で、武蔵国造の遠祖を斎い祀る出雲系の神が主祭神ではなかったかといいますが、源範頼の子孫吉見氏の崇敬により八幡神を併せ祀り岩井八幡と称していたのではないかと推測されています。江戸期には岩井神社、岩井八幡と称して黒岩村の鎮守社として崇敬され、明治40年字立石に鎮座していた岩崎大明神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による伊波比神社の由緒

(黒岩村)
岩井神社
或は岩井八幡とも稱す、村の鎮守にて村民の持、祭神譽田別天皇天太玉命、今の神體馬上に弓箭をとる像なり、按に【延喜式】神名帳に、武蔵國横見郡伊波比神社と載せ、又【續日本後紀】に嘉祥二年三月庚寅、奉授式武蔵國伊波比神從五位下とあり、是當社のことなるべし、土人等は式内の社なること云も傳へざれど、社地のさま老松生ひしげり、いかにも古き社と見えたり(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による伊波比神社の由緒

伊波比神社<吉見町黒岩三四七(黒岩字屋敷)>
吉見丘陵の東端部、旧荒川筋沿いに鎮座するのが当社である。付近には、茶臼山古墳や古墳時代後期の黒岩横穴群があり、現在五〇〇基以上も確認されている一大古墳群の地である。また大化前代、屯倉が置かれるほどの要地であった。安閑天皇元年(五三四)紀に、武蔵国の国造・笠原直使主と一族とが国造をめぐり争った結果、朝廷が使主を国造とする裁断を下したことに感謝して、屯倉を奉ったとある。その時に置かれた「横渟屯倉」が吉見町に比定されている。これらのことから、大化前代以来の有力豪族が強大な支配権を有していたのは明らかである。
当社は和銅年間(七〇八-一五)の創建と伝え、『延喜式』神名帳に収載されている式内社である。嘉祥二年(八四九)に伊波比神が従五位下に叙せられ、次いで貞観元年(八五九)に盤井神として官社に列格された。平安時代においても、朝廷からの班幣の対象社として重んじられ、地方の有力社と認められていたことがわかる。
中世の当社の様子は不明であるが、当地は平安時代末から鎌倉初期にかけて、源頼朝の弟の範頼の所領となり、その子孫が吉見氏として四代続いた。そして当社の東南約六〇〇メートルの地に吉見氏の城館跡があるところから、時の為政者により在地信仰の中心として重要視されていたと思われる。それは社号からも推察されるが、かつて当社は岩井八幡宮と称しており、現在も社号額は旧社号のまま残されている。『風土記稿』に「或は岩井八幡とも称す、村の鎮守にて村民の持、祭神誉田別天皇天太玉命、今の神体馬上に弓箭をとる像なり」と記されており、恐らく中世から範頼などの武将達が武運を願い八幡信仰をもたらしたのであろう。軍神として八幡神が勧請された後に誉田別尊が主祭神となった可能性が高いのである。元来の祭神は、外の出雲伊波比神社(毛呂山町・寄居町)との関連で、武蔵国造の遠祖を斎い祀る出雲系の神とする説が有力である。当社の祭神を『神祇志料』は大巳貴命、『比企郡神社誌』は天穂日尊・誉田別尊と載せており、出雲系の神を主祭神としている。
現社地の西方の台地は八幡台と呼ばれる旧境内地である。その地続きの観音山にある観音堂には正観音像が安置されており、当社祭神の本地仏であった。観音山は吉見村の除地で息障院の所有であった。同院が応永初年(一三九四年ごろ)に現在の御所の地に移ったとされ、その際に当社も現在地に移転されたと考えられる。
明治四十年には、字立石に鎮座していた岩崎大明神社が合祀されている。その旧地の荒藺崎は、名が示すとおり旧荒川に洗われた岩壁が残る。黒く切り立った岩石があるところから、黒岩の地名の由来となった。眺望が美しい所に石宮と石段がひっそりと残っている。(「埼玉の神社」より)


伊波比神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)