東林山寶蓮寺|荒川辺八十八ヶ所霊場
寶蓮寺の概要
真言宗智山派寺院の寶蓮寺は、東林山華蔵院と号します。嘉元元年(1303)に創建したといいます。当初江戸横山町にありましたが、後当地へ移転しました。荒川辺八十八ヶ所霊場73番札所です
山号 | 東林山 |
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院号 | 華蔵院 |
寺号 | 寶蓮寺 |
住所 | 江東区亀戸4-35-12 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 荒川辺八十八ヶ所霊場73番札所 |
寶蓮寺の縁起
寶蓮寺は、嘉元元年(1303)に創建したといいます。当初江戸横山町にありましたが、後当地へ移転しました。
新編武蔵風土記稿による寶蓮寺の縁起
寶蓮寺
新義真言宗寺嶋村蓮花寺末、東林山華蔵院ト号ス。
本尊虚空蔵長4寸5分行基ノ作作ト云。
嘉元元年ノ起立ニシテ開山ヲ真鍐ト云。中興證如延享元年11月7日寂ス。当寺モ(竜光寺と同様)古ハ江戸横山町ニアリシト云。 (新編武蔵風土記稿より)
「江東区の民俗城東編」による寶蓮寺の縁起
宝蓮寺
『新編武蔵風土記稿』巻之二四によれば、本尊虚空蔵菩薩は行基作と伝え、嘉元元年(一三〇三)に創立で、開山は真錆、中興開山証加は延享元年(一七四四)に亡くなる。元は江戸横山町にあったという。『江戸名所図会』によれば、江戸三虚空蔵の一つ(他の二つは小石川白山西福寺・品川養願寺)であり、吾嬬権現の別当寺であったという。『城東区史稿』によれば、明治二年に吾嬬権現の御前立の不動明王をこの寺に移したといぅ。『江東区の仏像』によれば、本尊の虚空蔵菩薩像は古像を模した江戸時代初期の作品であり、そのほかに木造不動尊三像があるという。毎月一三日は本尊虚空蔵様の日(「江東区の民俗城東編」より)
寶蓮寺所蔵の文化財
- 石造宝篋印塔(文化元年在銘)(江東区登録文化財)
- 木造不動三尊像(江東区登録文化財)
- 木造虚空蔵菩薩坐像(江東区登録文化財)
- 歌川国輝墓(江東区登録文化財)
- 観音供養塔(元禄11年在銘)(江東区登録文化財)
- 観音供養塔(延宝6年在銘)(江東区登録文化財)
- 阿弥陀供養塔(延宝9年在銘)(江東区登録文化財)
寶蓮寺の周辺図