八合神社。八大字に点在していた三九社を合祀
八合神社の概要
八合神社は、上尾市小泉にある神社です。八合神社の創建年代等は不詳ながら、寛文年間(一六六一-七三)に藤波村から分村した際に藤浪天神氷川八幡合社の氷川社を分祀したのではないかといいます。明治40年に大石村の内の小泉・中分・井戸木・中妻・沖之上・弁財・小敷谷・領家の八大字に点在していた三九社(境内社を入れると六四社)を小泉の村社氷川社に合祀し、八合神社と号したといいます。
社号 | 八合神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊、大雷命、菅原道真朝臣 |
相殿 | - |
境内社 | 駒形社、氷川大明神、天満宮 |
祭日 | 10月15日 |
住所 | 上尾市小泉443 |
備考 | - |
八合神社の由緒
八合神社の創建年代等は不詳ながら、寛文年間(一六六一-七三)に藤波村から分村した際に藤浪天神氷川八幡合社の氷川社を分祀したのではないかといいます。明治40年に大石村の内の小泉・中分・井戸木・中妻・沖之上・弁財・小敷谷・領家の八大字に点在していた三九社(境内社を入れると六四社)を小泉の村社氷川社に合祀し、八合神社と号したといいます。
新編武蔵風土記稿による八合神社の由緒
(藤浪村枝郷古泉村)
氷川社
村の鎮守なり、泉乗寺持、下の三社共に同じ
雷電社。
天神社
末社。雷電社、三峰社
熊野社
村民の持、下同じ
八幡社
(小敷谷村)
氷川社
村の鎮守なり、照明院持。
浅間社
持前に同じ。
(石戸領領家村)
氷川社
村の鎮守なり、修験林蔵院の持なり、下五社も同じ。
天神社
雷電社
石神社
辨天社
稲荷社
(辨財村)
辨財天社
村の鎮守にして稲荷白山を合祀す、昌福寺の持なり。
雷電社
持前に同じ
稲荷社
同寺の持
(沖之上村)
氷川社
當村及び中妻・井戸木・町屋四ヶ村の鎮守にして、薬王寺持。
浅間社
持前に同じ。
雷電社
貞享五年の棟札あり、勧請のことをしてしるべし、同寺の持。
稲荷社
八幡を合祀す。
(中妻村)
稲荷社
村の鎮守にして、村民の持。
八幡社
同じ持。
(井戸木村)
浅間社
村の鎮守なり、正願寺の持。
山王社
持前に同じ
荒神社
村民の持。(新編武蔵風土記稿より)
「上尾の神社・寺院」による八合神社の由緒
古く字宮山に鎮座した氷川神社を、慶応3年現在地に移転(一宮氷川神社を勧請)明治6年(1873)4月村社に列せらる。明治40年(1907)、小泉、中分、井戸木、中妻、沖ノ上、弁財、小敷谷、領家の八大字に在った39社を合祀して、「八合神社」とした。(「上尾の神社・寺院」より)
「埼玉の神社」による八合神社の由緒
八合神社<上尾市小泉四四三(小泉字氷川山)>
当社は、明治四十年に大石村の内の小泉・中分・井戸木・中妻・沖之上・弁財・小敷谷・領家の八大字に点在していた三九社(境内社を入れると六四社)を小泉の村社氷川社に合祀し、八合神社と号して成立した。合祀の中心に小泉の氷川社が選ばれた理由としては、小泉が八大字の中央に位置していたことや、小泉に大石村の役場が置かれていたことが挙げられる。また、社名については、八大字の各社の総代が協議して決したとの話が伝えられている。現在、境内にある幟立ては、合祀の際に小敷谷から移されたものである。
小泉の氷川社については『明細帳』に「往古ハ字宮山ニ鎮座アリシカ慶応三丁卯(一八六七)十一月移転ス、其際当国一ノ宮氷川社を分祭勧請ス」とある。これに見える旧地の字宮山は、現在地の南西五〇〇メートルほどの「宮山」あるいは「元氷川」と呼ばれる所で、三井団地の敷地内に当たり、元は一帯が山林であった。また、別当は真言宗泉乗寺であったが、神仏分離を経て明治二十一年に本寺柏座の日乗院に合寺となった。
なお、小泉の地は寛文年間(一六六一-七三)に藤波村から分村したといわれ、藤波村の鎮守が天神氷川八幡合社であることから、このうちの「氷川」を分村の前後に勧請したものであろう。そのため、後に現在地に遷座するに当たり、正式に一宮から分霊を請うたのである。(「埼玉の神社」より)
八合神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)