大野原愛宕神社。秩父神社の旧鎮座地
大野原愛宕神社の概要
大野原愛宕神社は、秩父市大野原にある神社です。大野原愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、秩父神社文書の「嘉禎の火雷後妙見宮を柞森に祭祀されその宮籬の辺りに火神愛宕の神祠を営みける」とあることから、嘉禎年間(1235-1237)に秩父神社の鎮座していた地に、火防のため当社を祀ったのではないかといいます。江戸期には大野原村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格しています。また、境内社の伊奈利社は、王子稲荷神社を勧請したものだといいます。
社号 | 愛宕神社 |
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祭神 | 軻具土命 |
相殿 | - |
境内社 | 伊奈利、弁天、浅間、金毘羅 |
祭日 | - |
住所 | 秩父市大野原339-1 |
備考 | - |
大野原愛宕神社の由緒
大野原愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、秩父神社文書の「嘉禎の火雷後妙見宮を柞森に祭祀されその宮籬の辺りに火神愛宕の神祠を営みける」とあることから、嘉禎年間(1235-1237)に秩父神社の鎮座していた地に、火防のため当社を祀ったのではないかといいます。江戸期には大野原村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格しています。
新編武蔵風土記稿による大野原愛宕神社の由緒
(大野原村)
愛宕社
村持にて、村中の鎮守なり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大野原愛宕神社の由緒
愛宕神社<秩父市大野原三四〇-二(大野原字宮崎)>
鎮座地大野原の地名は、『秩父志』に「此村古昔ヨリ原野多ケレパ名トナルベシ」とあり、また、『風土記稿』に「墾開の年代を伝へずといへども、原野の地をひらきし村なり」とあるところから、古くはこの地に原野が広がっていたことにちなんだものと思われる。
当社は、口碑によれば、元来は村の東に位置する字峰沢にある前山の山上に祀られていたが、元和五年に字宮崎にある現在の境内へ遷座したという。この話に出てくる前山には、往古、妙見宮(現秩父神社)が祀られていたと伝えられ、妙見官は、その後、宮崎、柞の森と社地を移していったという。これらの伝説と、秩父神社文書の「嘉禎の火雷後妙見宮を柞森に祭祀されその宮籬の辺りに火神愛宕の神祠を営みける」という記事とを合わせて考えると、当社は、落雷による社殿焼失のために遷座した妙見宮の跡地に火防の神として祀られた社で妙見宮がその社地を移すにしたがって、当社も前山から宮崎に社地を移したと見ることもできるが、いまだ推論の域を出ない。
祭神は軻具土命であるが、神仏分離以前は地内の大東山源蔵寺が別当であったことから、当時は勝軍地蔵を祀っていた。明治五年に村社となり、同三八年には官有地となっていた九畝一一歩の山林を境内に編入している。(「埼玉の神社」より)
大野原愛宕神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿