比丘尼山横穴墓群。比企郡域に多く築造された横穴墓群の一つ
比丘尼山横穴墓群の概要
比丘尼山横穴墓群は、東松山市大谷にある名所旧跡です。比丘尼山横穴墓群は、比企郡域に多く築造された横穴墓群の一つです。当地は、五世紀初頭の造立とされる雷電山古墳(大雷神社)、六世紀初頭から七世紀後半にかけて築造された三千塚古墳群から、串引沼を挟んだ地にあたります。
旧跡・名所名 | 比丘尼山横穴墓群 |
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みどころ | 東松山市市指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | 東松山市大谷265 |
備考 | - |
比丘尼山横穴墓群の由緒
比丘尼山横穴墓群は、比企郡域に多く築造された横穴墓群の一つです。当地は、五世紀初頭の造立とされる雷電山古墳(大雷神社)、六世紀初頭から七世紀後半にかけて築造された三千塚古墳群から、串引沼を挟んだ地にあたります。
新編武蔵風土記稿による比丘尼山横穴墓群について
(大谷村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による比丘尼山横穴墓群について
比丘尼山と横穴墓
「比丘尼山」は、伊豆に流されていた源頼朝を援助した比企郡司遠宗の妻が、夫の没後、比企禅尼となりここに草庵を営んだ、ということから呼ばれています。周辺には二代将軍頼家の妻若狭局が頼家亡きあと移り住んだと伝える場所などもあります。
また、この丘陵の斜面には、七世紀に出現した横穴墓群が存在します。比企地方では吉見百穴、黒岩横穴群などがあり市内では、この比丘尼山横穴墓群のみです。これらの横穴墓群は吉見百穴を中心に西に広がっており、同地方に移住した渡来氏族の壬生吉志氏とのかかわりあいのある墓制とも考えられています。(境内掲示より)
比丘尼山横穴墓群の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」