普門寺。川田谷諏訪神社のもと別当
普門寺の概要
天台宗寺院の普門寺は、諏訪山福聚院と号します。普門寺は、慈覚大師が当地巡錫の際に飢餓に苦しむ人々を助けたことを後世に残すため、食物を給した小屋の跡に一寺を建立したと伝えられ、貞享5年(1688)に再建した旨の棟札が残されていたといいます。江戸期には川田谷諏訪神社の別当を務めていました。当寺の枝垂れ桜は市文化財に指定されています。足立坂東観音霊場18番です。
山号 | 諏訪山 |
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院号 | 福聚院 |
寺号 | 普門寺 |
住所 | 桶川市川田谷6663 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
普門寺の縁起
普門寺は、慈覚大師が当地巡錫の際に飢餓に苦しむ人々を助けたことを後世に残すため、食物を給した小屋の跡に一寺を建立したと伝えられ、貞享5年(1688)に再建した旨の棟札が残されていたといいます。江戸期には川田谷諏訪神社の別当を務めていました。
新編武蔵風土記稿による普門寺の縁起
(川田谷村)
(諏訪神社)別當普門寺
天台宗、村内泉福寺末、諏訪山福聚院と號す、貞享五年再建の棟札あり、總門中門等あり、本尊は正観音智證大師の作、立像にして長三尺餘。
寺寶。
髑髏一箇。寺傳には蒲冠者範頼の首なりといへど疑ふべし、範頼のことは石戸宿村阿彌陀堂の條併せ見るべきなり。
長刀一振。傳へを失ひたれば所以は知らず。
稲荷社。
観音堂。十一面観音にして行基の作なり、則諏訪明神の本地佛なるよし、元禄十一面再建の棟札あり。(新編武蔵風土記稿より)
普門寺所蔵の文化財
- 普門寺のしだれ桜(桶川市指定文化財)
普門寺のしだれ桜
東叡山泉福寺の末寺である諏訪山福聚院普門寺は、平安時代に当たる天長年間に慈覚大師がこの地を訪れ、飢餓に苦しむ人々を助けたことの記憶をとどめるために、後世、食物を給した小屋の跡に一寺を建立したと、開山の由緒を伝えています。
現在は堂宇を失っている普門寺ですが、江戸時代には幕府より寺領三石の朱印地を与えられ、また、石戸宿総鎮守であった諏訪神社の別当としても栄えました。
枝垂桜は、エドヒガンザクラの変種であり、イトザクラとも呼ばれています。
普門寺のしだれ桜は、毎年三月末、枝垂れた枝に付く無数のつぼみが花開き、小ぶりの花が咲き連なるその豊かな彩リは、人々に春の盛りの到来を告げてくれます。(諏訪山福聚院普門寺・桶川市教育委員会掲示より)
普門寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」