高徳神社。鶴ヶ島市太田ヶ谷の神社

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高徳神社。太田ヶ谷・三ツ木・藤金・五味ケ谷の村社を合祀

高徳神社の概要

高徳神社は、鶴ヶ島市太田ヶ谷にある神社です。高徳神社は、明治39年の神社合祀令により、当時の村長内野重右衛門が自らの土地を寄進し、太田ヶ谷の熊野神社・三ツ木の白髭神社(及び境内社八坂神社)・藤金の氷川神社、五味ケ谷の氷川神社を合祀して大正2年に新たに創建しています。

高徳神社
高徳神社の概要
社号 高徳神社
祭神 伊弉冉命、速玉男命、事解男命、素戔嗚命、稲田姫命、猿田彦命、進雄之男命
相殿 -
境内社 牛頭天王社、富士浅間神社、氷川神社、天満天神社、熊野神社、白髭神社
祭日 例大祭4月8日、夏祭り7月24日
住所 鶴ヶ島市太田ヶ谷617-1
備考 -



高徳神社の由緒

高徳神社は、明治39年の神社合祀令により、当時の村長内野重右衛門が自らの土地を寄進し、太田ヶ谷の熊野神社・三ツ木の白髭神社(及び境内社八坂神社)・藤金の氷川神社、五味ケ谷の氷川神社を合祀して大正2年に新たに創建しています。

境内掲示による高徳神社の由緒

高徳神社
高徳神社は、大正二年の創立で、太田ヶ谷、三ツ木、藤金、上広谷、五味ケ谷の各字にあった神社を合祀したものである。
この神社の神域は広く、境内、境外の面積は、五、六一九坪もある。この境内地は、太田ヶ谷の豪農、内野重右衛門が寄進したものである。広い境内は、老樹うっそうと生い茂り、清浄、森厳な聖域となっている。
また、この広い神域を利用して、市の「野鳥の森」が設定されており、武蔵野の面影を残す樹林内には、留鳥、漂鳥、旅鳥など野鳥の数も多い。この森のすぐ西側には清い小川があり、また、境内のところどころに餌箱を設置してあるので、鳥たちの聖域となっている。(埼玉県掲示より)

新編武蔵風土記稿による高徳神社の由緒

(太田ヶ谷村)
熊野社
村の鎮守なり、例祭三月十六日、萬福寺持、
稲荷社
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(三ツ木村)
白髭社
村の鎮守にて、例祭三月十五日なり、慈眼寺の持、下の四社も皆同じ、
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(藤金村)
氷川社
村の鎮守なり、例祭三月十四日、法昌寺持、下同、
辨天社
稲荷社
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(上廣谷村)
氷川社
當村及五味ヶ谷村の鎮守なり、例祭八月廿五日、正音寺持。
天神社 (新編武蔵風土記稿より)

「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」による高徳神社の由緒

高徳神社
太田ケ谷字新井に所在する。旧社格は指定村社。祭神は伊弉冉命、速玉男命、事解男命、素戔嗚命、稲田姫命、猿田彦命、進雄之男命。ただし資料により若干異なる。広い社叢林は鳥類も多く生息し「野鳥の森」に指定されている。
明治三九年の神社合祀令により、大正二年に新たに創立した神社である。遷座統合したのは、太田ヶ谷字下後の村社熊野神社、三ツ木字宮内の村社白髭神社及び同境内社八坂神社、藤金字宮裏の村社氷川神社、五味ケ谷字松原の村社氷川神社である。社地の大部分は、当時村長であった太田ケ谷の内野重右衛門が寄進し、社殿造営・境内整備については村人の奉仕によった。
統合された五社は本殿内に合祀された。またそれぞれの境内社は、白髭神社境内社の八坂神社を除き、以下の通り当社の境内杜とされた。
1.稲荷社(熊野神社、白髭神社、藤金白髭神社の境内社。祭神は倉稲魂之命)
2.天満天神社(熊野神社、白髭神社、藤金氷川神社、五味ヶ谷氷川神社の境内社。祭神は菅原道真公)
3.神明社(熊野神社、五味ヶ谷氷川神社の境内社。祭神は天照大御神)
4.浅間神社(熊野神社、藤金氷川神社の境内社。祭神は木花咲耶姫尊)
5.琴平神社(白髭神社の境内社。祭神は大物主之命)
6.厳島神社(白髭神社、藤金氷川神社の境内社。祭神は市杵島姫命、多喜都姫命、多紀理姫命)
7.日枝神社(熊野神社の境内社。祭神は大山咋命)
8.愛宕神社(藤金氷川神社の境内社。祭神は火遇槌命)
9.軍神社(藤金氷川神社の境内社。祭神は大気都姫命)
10.八幡神社(藤金氷川神社の境内社。祭神は誉田別尊)
統合された五社はいずれも創立年紀は不明である。太田ケ谷の熊野神社の旧鎮座地は、中世の館跡推定地の北東四〇〇メートルに所在した。祭神は伊弉冉命、速玉男命、事解男命。三ツ木の白髭神社の旧鎮座地も、中世の館跡の北一〇〇メートルに所在した。祭神は猿田彦命とも武内宿禰命ともいわれる。八坂神社の祭神は須佐之男命。熊野神社、白髭神社の立地は脚折の白髭神社のそれに類似している。藤金の氷川神社はその草分けとされる集落(大下)の南西に所在し、参道もそちらの方向に延びていた。祭神は素戔嗚命、稲田姫命。この境内には明治期に富士塚が築かれ、現在も原形をとどめている。五味ケ谷の氷川神社は上広谷の鎮守でもあった。宝暦一二年(一七六二)の古文書によれば、大永年中(一五二一~二七)に広谷村が上広谷、下広谷、五味ケ谷に分かれた時には、三村の惣鎮守であったとされる。祭神は素戔嗚命、稲田姫命。(「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」より)

「埼玉の神社」による高徳神社の由緒

高徳神社<鶴ケ島町太田ケ谷六一七-一(太田ケ谷字新井)>
鶴ケ島は明治二二年、旧村の五味ケ谷・戸宮・大塚野新田・脚折・三ツ木・三ツ木新田・高倉・町屋・藤金・上新田・中新田・下新田・上広谷・太田ケ谷の一四ヵ村を合併し、鶴ケ島村が成立、昭和四一年、町制を施行し現在に至っている。
当社は、大正二年にこれら旧村に鎮座していた各村社を現在地に遷座統合し、鶴ケ島の中心的な社として創建された。統合は、明治三九年の勅令による神社合祀により行われたといわれる。社地については、当時、村長であった内野重右衛門が自らの土地を寄進し、社殿造営・境内整備については村人の奉仕によった。社名の高徳は、祭神の徳をたたえ、村民の崇敬心を高揚させるために名付けられた。
統合された神社は、太田ケ谷の熊野神社、三ツ木の白髭神社及び同境内社の八坂社、藤金の氷川神社、五味ケ谷の氷川神社の五社で、これらは本殿内に合祀された。また、白髭神社境内社の八坂社を除き、合祀された神社の境内社すべては、当社境内にある第一・第二・第三・第四境内社に集められた。なお、このほかの地区の神社についても合祀が行われたが、書類上の合祀に終わっている。
大正三年には、神社整備も完了したことから神饌幣帛料供進社に指定された。(「埼玉の神社」より)


高徳神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」
  • 「埼玉の神社」