成願寺。坂戸市成願寺にある曹洞宗寺院

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無量山成願寺。坂戸市成願寺にある曹洞宗寺院

成願寺の概要

曹洞宗寺院の成願寺は、無量山と号します。成願寺は、建長寺円覚寺の二寺を兼帯していた廣智國師乾峯士雲和尚(康安元年1361年寂)が臨済宗寺院として開山したと伝えられ、広壮な伽藍を擁していたと伝えられます。その後衰微していた当寺を浅谷是暾(慶長7年1602年寂)が曹洞宗に改めて文禄元年(1593)に中興したといいます。当地名発祥の寺院です。

成願寺
成願寺の概要
山号 無量山
院号 -
寺号 成願寺
本尊 釋迦牟尼佛像
住所 坂戸市成願寺315
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



成願寺の縁起

成願寺は、建長寺円覚寺の二寺を兼帯していた廣智國師乾峯士雲和尚(康安元年1361年寂)が臨済宗寺院として開山したと伝えられ、広壮な伽藍を擁していたと伝えられ、ビャクシンの存在から石上神社地も当寺境内だったとも推定されます。その後衰微していた当寺を多和目永源寺第3世浅谷是暾(慶長7年1602年寂)が曹洞宗に改めて文禄元年(1593)に中興したといいます。当地名発祥の寺院です。

新編武蔵風土記稿による成願寺の縁起

(成願寺村)
成願寺
曹洞宗、田波目村惠源寺の末、無量山と號す、昔は臨済派にて、開山は鎌倉建長寺の第三世、劔峯國師無量成願とのみ傳ふ、按に劔峯國師と云は、僧傳に所見なし、禅林僧傳に廣智國師乾峯和尚あり、其行状の略云、乾峯諱は士曇、又少曇と稱し、筑前國博多の人なり、
文和の頃建長。圓覺の二寺を兼領すとあり、しも此乾峯を訛傳して、劔峯國師と云しにあらずや、殊に乾峯が母、初め筑前志賀島の鎮守に参籠して、賢子を祈りし時、夢中に文殊普賢劔を抜て、其心を割と見て娠すとのすれば、妊は剣字の普通の如く聞えたり、然れば劔峰と傳ふるも其故なきにあらず、妊和尚は康安元年寂せし人なれば、もし此人ならんには、當寺の古刹なることしらる、又寺傳に云、當寺草創の初はいとも勝れたる伽藍なりしが、漸く衰へ果は纔かなる庵室のさまとなりしを、文禄元年本山惠源寺第三世の住僧、浅谷是暾中興して堂舎再び見るべくなれり、済派の同派となりしはこの時にて、かの僧は慶長七年十一月二十四日示寂す、本尊薬師を安ず、(新編武蔵風土記稿より)


成願寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」