海禅寺。桃井中務少輔直和開基、足立坂東三十三ヶ所霊場
海禅寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の海禅寺は、瑞光山と号します。海禅寺は、桃井中務少輔直和(嘉慶2年1388年没)が開基となり、建長寺11世大通禅師(正安4年1302年寂)を勧請開山として創建したといいます。足立坂東三十三ヶ所霊場19番です。
山号 | 瑞光山 |
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院号 | - |
寺号 | 海禅寺 |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 戸田市上戸田3-7-18 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
海禅寺の縁起
海禅寺は、桃井中務少輔直和(嘉慶2年1388年没)が開基となり、建長寺11世大通禅師(正安4年1302年寂)を勧請開山として創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による海禅寺の縁起
(上戸田村)海禅寺
臨済宗、芝村長徳寺末、瑞光山と号す。当寺は多福院と同く荒川の岸にありしを、後今の地に移せり。其頃は鎌倉建長寺末なりしと云。元禄年中検地の記に、当寺長福寺末の由見えたれば、本寺を替しは元禄のことなり。又開基も前寺(多福院)と同く桃井中務少輔直和なり。開山は建長寺十一世大通禅師にて、徳治元年10月28日寂す。禅林僧傳を閲るに禅師諱子曇西澗と号す。台州仙居の人にて、俗称は黄氏なり。正安元年北条貞時の請によりて、本朝に来り円覚寺に住し、嘉元元年建長寺に転じ、同4年10月正観音寺に退居、同28日寂して傳燈庵に葬りしとあり。4年は徳治と改元なれば、寂年は実を得たり。されど当寺を開きし事は見えず。按に開基桃井氏の卒年、嘉慶2年より徳治元年へ上ること87年に及びたれば、当寺開きしは余人にして、禅師は勧請開山にや、又此僧を実の開山となさば、桃井は中興の開基なるべし。本尊薬師を安ず。
寺宝。轡一口。桃井氏のものと云。
赤城社。境内の鎮守なり。
観音堂。如意輪観音を安ず。行基の作なり。又其胎内に桃井播磨守の守佛と称する小像を安ずと云。
五輪塔一。境内にあり。桃井中務少輔がしるしなりと云。されど文字磨滅したれば、実に其人の墓なるや詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)
海禅寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿