常光寺|江東区亀戸にある曹洞宗寺院

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常光寺|江戸六阿弥陀、亀戸七福神寿老人

常光寺の概要

曹洞宗寺院の常光寺は、西帰山と号します。常光寺は、江戸六阿弥陀巡礼6番目の霊場、江戸を出て最初の巡礼地として栄え、「新編武蔵風土記稿」に「本尊六阿弥陀行基の作にして長六寸許、脇立に観音勢至を安す、これを六阿弥陀第六番目にして、春秋彼岸は殊に参詣のもの多い」と記載されています。現在は、亀戸七福神の寿老人として親しまれています。新葛西三十三所観音霊場32番です。

常光寺
西帰山常光寺の概要
山号 西帰山
院号 -
寺号 常光寺
住所 江東区亀戸4-48-3
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 亀戸七福神の寿老人、江戸六阿弥陀巡礼の6番目



常光寺の縁起

常光寺の創建年代は不詳ながら、当地は行基草創の地であると伝えられ、往古に創建された寺院です。勝庵最和尚(天文13年寂)により中興されました。

新編武蔵風土記稿による常光寺の縁起

常光寺
禅宗曹洞派豊島郡橋場村総泉寺末、西蹄山ト号ス。本尊弥陀行基ノ作ニシテ長6寸許。
脇立ニ観音勢至ヲ安ス。コレハ六阿弥陀第6番目ニシテ春秋彼岸ハ殊に参詣ノモノ多シ。縁起アレト世ノ知ル所ニシテ外ニ事宝カハラサレハ笿ス当寺ハ行基草創ノ地ナリト云伝ヘ又中興ヲ勝庵最和尚ト云天文13年7月15日寂ス。
観音堂、準堤観音ヲ安セリ。
衆寮。
鐘楼、鐘ハ正徳4年鋳造ナリ。
山門、棲上ニ十六羅漢ヲ安シ下ニ仁王ヲ置リ。
来迎松、中古堂宇回録ノトキ本尊コノ松ニ飛移リシト云。
龍燈松、昔龍燈カカリシト云伝フ。(新編武蔵風土記稿より)

新編武蔵風土記稿による常光寺の縁起

常光寺
『新編武蔵風土記稿』巻之二四によれば、本尊阿弥陀如来は行基作で、六阿弥陀の六番目であり、春秋彼岸には参詣の者が多い。この寺を開いたのは行基であり、中興は勝庵和尚といい、天文一三年(一五四四)に亡くなるという。
寺の縁起(「六阿弥陀 常光寺 縁起・沿革」)によれば、建立は天平九年(七三七)、開山は行基菩薩で、開基は豊島の冠者、本尊は行基作の阿弥陀如来座像、天文一三年に曹洞宗に改宗し、中興開山は勝庵最大和尚で、このときの開基は下総里見義実であるという。この寺に阿弥陀如来が祀られるようになった由来について以下のように伝えている。聖武天皇の時代に、足立の庄司藤原正成は子供がいないことをなげき、熊野権現を信心していた。ある夜、霊夢をみて、ほどなく女の子をもうけた。後に、この娘(足立姫)を豊島清光へ嫁がせたところ、舅姑と折り合いが悪く、実家に帰る途中、荒川に身を投げた。このとき、おつきの侍女たち一二名も一緒に沈んだ。正成は悲しみ、法師となり、諸国の霊場を巡り、紀州熊野山で霊夢により、社内の光明に放つ霊木をみつけ、正成の名を記して海に流し、国に戻ると、霊木は流れ着いており、お告げにあった行基の巡来を待ち、行基が来たときに、これまでのことを語ったところ、行基は断食し、弥陀仏に念じ、六体の阿弥陀如来を彫った。侍女の出生地に寺を建立し、阿弥陀仏を大仏させ、菩提を弔った。なお、神木の余り木で足立姫を弔う観世音菩薩を彫ったという。六阿弥陀を祀る寺は以下の通りである。
一番西福寺北区豊島
二番恵明寺足立区江北
三番無量寺北区西ケ原
四番与楽寺北区田端
五番常楽院府中市(台東区上野より移転)
六番常光寺江東区亀戸
木余り性翁寺足立区扇
『帝都郊外発展誌』城東の巻亀戸編によれば、中興開山の勝庵和尚は浅草総泉寺四世であるという。(新編武蔵風土記稿より)


常光寺にある南葛八十八ヶ所霊場札所

常光寺には、南葛八十八ヶ所霊場六十六番と刻された石碑が現存しており、南葛八十八ヶ所霊場が開創された当初は、当寺が南葛八十八ヶ所霊場66番であったとされます。現在、南葛八十八ヶ所霊場66番は、竜光寺に安置されています。

常光寺所蔵の文化財

  • 石造燈籠寛文13年在銘(江東区登録文化財)
  • 木造阿弥陀如来坐像(江東区登録文化財)
  • 木造釈迦如来坐像(江東区登録文化財)
  • 庚申塔天和3年在銘(江東区登録文化財)
  • 六阿弥陀道道標延宝7年在銘(江東区登録文化財)
  • 六阿弥陀六番目標柱元文2年在銘(江東区登録文化財)
  • 石地蔵尊像延享3年在銘(江東区登録文化財)
  • 水盤延宝8年在銘(江東区登録文化財)
  • 水盤安永4年在銘(江東区登録文化財)
  • 地蔵供養塔元禄16年在銘(江東区登録文化財)
  • 地蔵逆修供養塔寛文12年在銘(江東区登録文化財)
  • 阿弥陀三尊供養塔寛文10年在銘(江東区登録文化財)

常光寺の周辺図