持田諏訪神社。行田市持田の神社
持田諏訪神社の概要
持田諏訪神社は、行田市持田にある諏訪神社です。持田諏訪神社の創建年代や由緒については不詳ですが、新編武蔵風土記稿によれば、別当寺長福寺とあります。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 持田剱神社と共同開催 |
住所 | 行田市持田6035 |
備考 | もと別当寺:長福寺、現行田八幡神社の兼務社 |
持田諏訪神社の由緒
持田諏訪神社の創建年代や由緒については不詳ですが、延徳2年(1490)、忍城を造営するとともに当社を城内諏訪社として勧請したとも、成田下総守親泰が新たに忍城を築く際、築城以前からあった当社が城中となり城鎮守になったため、城内諏訪社(忍諏訪神社)の分霊を勧請したとも伝えられます。
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による持田諏訪神社の由緒
江戸期、この地は忍城の持田口と呼び中仙道に対して備える重要地点で、非常時を考えて寺が置かれていた。
「増補忍名所図会」に「諏訪明神、阿弥陀寺の裏手壱丁計りにあり、御城内の諏訪古此所にありしとぞ、今の社は後に祭れるもの也。」とある。
当社の創建は「明細帳」によると建久のころで、成田泰時が忍氏を滅ぼし、延徳2年(1490)、忍城を造営するとともに当社を城内諏訪社(忍諏訪神社)として勧請したと伝えられる。また一説には、成田下総守親泰が新たに忍城を築く際、当社は城中となり城鎮守になったため、鎮守を失った当地は隣村沼尻(大字中里分)と相談し、同社の分霊を奉斎したと伝えている。
江戸期には真言宗長福寺が社の管理をしていた。一間社流造りの本殿は寛保2年造営と伝え、祭神は建御名方命である。
境内は30坪ほどで、古くは老木が茂り昼なお暗い杜であったという。昭和54年10月19日当地を襲った台風により、本殿・覆星を破損したが、同年末、氏子一同の寄附により修復がなされている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
持田諏訪神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)