原馬室観音堂。埼玉県指定無形民俗文化財の獅子舞

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原馬室観音堂。名主八郎右衛門の協力で伽藍建立

原馬室観音堂の概要

真言宗智山派寺院の原馬室観音堂は、鴻巣市原馬室にある観音堂です。原馬室観音堂の創建年代等は不詳ながら、文化年間(1804-1818)に妙楽寺住職性海が名主八郎右衛門の協力で伽藍を建立、馬持ちなど陸上運送業に携わる人々の信仰を集め、村の有力者を中心とした信者により護持されてきたといいます。原馬室観音堂と、原馬室内の神社(原馬室愛宕神社・原馬室雷電神社・原馬室氷川神社原馬室野宮神社のいずれか)の二ヵ所で奉納される原馬室の獅子舞は、埼玉県無形民俗文化財に指定されています。

原馬室観音堂
原馬室観音堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 観音堂
本尊 馬頭観音像
住所 鴻巣市原馬室
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



原馬室観音堂の縁起

原馬室観音堂の創建年代等は不詳ながら、文化年間(1804-1818)に妙楽寺住職性海が名主八郎右衛門の協力で伽藍を建立、馬持ちなど陸上運送業に携わる人々の信仰を集め、村の有力者を中心とした信者により護持されてきたといいます。

新編武蔵風土記稿による原馬室観音堂の縁起

(原馬室村)
観音堂
馬頭観音なり、妙楽寺持。(新編武蔵風土記稿より)

「鴻巣市史」による原馬室観音堂の縁起

馬持ちなど陸上運送業に携わる人々の信仰を集めていた馬頭観音では、箕田村の平等寺が支配する原馬室観音堂がよく知られている。(中略)
原馬室村の妙楽寺支配の馬頭観音も、一九世紀初めの文化年間に妙楽寺住職性海が名主八郎右衛門の協力で伽藍を建立し、嘉永年間(一八四八~五四)に名主藤井健司、金子要右衛門などの斡旋で本尊の修理を行うなど、村の有力者が常に維持に関与してきたことがわかる。(「鴻巣市史」第十一章寺院と神社より)


原馬室観音堂の縁起

  • 原馬室の獅子舞(埼玉県指定無形民俗文化財)

原馬室の獅子舞

原馬室の獅子舞は、家内安全、悪疫退散、五穀豊穣を願って神前に奉納される民俗芸能で、竹を細く割って作った「ささら」をすり合わせて踊る獅子舞と棒術が組み合わされる。
獅子舞は、天正二年(一五七四)にこの地を訪れた田楽師の山田右京助と橋本市左衛門の二人が伝えたといわれる。現在は年中行事となっていて、七月の「祈祷」と八月の「祭典」が奉納されている。
七月の「祈祷」の舞は「笹掛かり」といわれ、獅子の持つ強い力を借りて悪疫を退散させようというはらいの獅子舞である。獅子によってはらわれた厄は、納神宮における「荒舞」によって落とされる。
「家内安全」「悪疫退散」を祈祷して家々を厄はらいして回っていたが、戸数の増加にともなって昭和四十年以降は地区内の五社(愛宕神社・雷電社・野宮社氷川神社小松原神社)とここ原馬室観音堂を一日で巡ることになった。近年は、地区内の小・中学校、公園等への巡回している。
八月の「祭典」は「獅子舞」と「棒術」の演技が奉納される。以前は八月十七・十八日の二日間にわたって原馬室観音堂と前記の五社で奉納されていたが、昭和四十七年以降は八月十八日近くの一日だけとなり、会場も愛宕・雷電・氷川・野宮の四社の内の一社と原馬室観音堂を組み合わせた二か所となった。
「棒術」は、宮本武蔵の二刀流、佐々木厳流(小次郎)の龍高流、柳生十兵衛で有名な新陰流の三流派の型を模したといわれる。演技には「四方固め」から「虎走り」まで三十の型があり、木刀あるいは六尺棒、時には真剣を使って、迫力のある演技が素朴に、時には滑稽に演じられる。
「獅子舞」は、法眼獅子(男獅子)、中獅子(女獅子)、後獅子(男獅子)の三頭と花笠、笛方、歌方で構成され、五穀豊穣、天下泰平を祈願して奉納されるが、場所(舞庭)によって演目が異なる。
舞には「野辺の道行」「深山のまどい」「弥生の遊山」「女獅子かくし」「岩戸の曙」などの演題が付けられていて、全体が筋立てのある演劇的な構成となっている。とりわけ「女獅子かくし」は中獅子をめぐって法眼獅子と後獅子が激しく争う筋立てとなっていて、早い調子と動きの早い舞は勇壮で迫力があり、獅子舞のなかでも最大の見せ場となっている。
この原馬室の獅子舞の技術を保存し、後世に伝えることを目的として原馬室獅子舞棒術保存会が昭和五十一年四月に結成された。保存会では「祈祷」「祭典」の実施・保存と後継者の育成などになたっている。(埼玉県教育委員会・鴻巣市教育委員会掲示より)

原馬室観音堂の周辺図