愛宕神社(豊岡)。入間市豊岡の神社

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愛宕神社(豊岡)。武蔵野の開発と共に祭祀、新田義興主従の首実検

愛宕神社(豊岡)の概要

愛宕神社(豊岡)は、入間市豊岡にある愛宕神社(豊岡)です。愛宕神社(豊岡)の創建年代等は不詳ながら、武蔵野の開発と共に天照大神を祭祀したといいます。矢口の渡しで戦死した新田義興主従の首実検が正平13年(1358)当地で行なわてより、災いが相次ぎ、正平16年新田大明神を当社に合祀しています。江戸期には幕府より社領8石の御朱印状を慶安2年(1649)に拝領、明治5年愛宕神社と改称し村社に列格、明治40年東愛宕神社を合祀(後に復祀)したといいます。

愛宕神社(豊岡)
愛宕神社(豊岡)の概要
社号 愛宕神社
祭神 天照皇大神、別雷神、火産霊神、新田義興公
相殿 -
境内社 蚕影神社、日枝・金比羅・八雲・御嶽・十三騎稲荷合社、三社合殿社
祭日 例祭4月
住所 入間市豊岡3-7-32
備考 旧村社



愛宕神社(豊岡)の由緒

愛宕神社(豊岡)の創建年代等は不詳ながら、武蔵野の開発と共に天照大神を祭祀したといいます。矢口の渡しで戦死した新田義興主従の首実検が正平13年(1358)当地で行なわてより、災いが相次ぎ、正平16年新田大明神を当社に合祀しています。江戸期には幕府より社領8石の御朱印状を慶安2年(1649)に拝領、明治5年愛宕神社と改称し村社に列格、明治40年東愛宕神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による愛宕神社(豊岡)の由緒

(扇町屋村)愛宕権現新田大明神合社
愛宕社領八石を賜はり、即其社領の内にあり、村の東の方にて其大門前は往還の大道へ係れり、祭神は愛宕権現伊弉諾尊大産霊尊なり其像を五本骨の扇に画けり、又新田大明神は左兵衛佐義興の霊を配し祀ると云、其神體は馬上にて甲冑を着せし木像なり、社傳に云昔左馬頭基氏南朝の餘黨を滅さんと、當國へ発向の時義興は江戸竹澤に欺かれて、矢口渡に於て討れけるにより、かの主従の首十三級を基氏が許に持来りければ、當所にて實検を遂其首を埋し所、十三塚とて今も残れり、故に義興の霊を當社に配祀すと云々、【太平記】義興自害の條に云、其後水練の者を入て、左兵衛佐及び自害打死の頸十三を酒にひたして、江戸遠江守、同下野守、竹澤右京亮五百餘騎にて鎌倉の左馬頭をはしける武蔵入間川の陣へ馳参、畠山入道斜ならず悦て小俣少輔次郎・松田河村を呼寄て是を見せらるるに、子細なき兵衛佐殿にてをはしけりと云々、當村は入間川村に隣り、殊に入間川の流に添し村なれば、【太平記】に入間川の陣と書しも符号せり、されば社傳の如く、義興が印を葬りし地なるべけれど、他に明證あるにはあらず、社前に松杉の老樹ありていと古めきたる社なり、例祭は三月廿四日。
末社。高津鳥命社、天王社、稲荷社。
神主守屋主水。北野天神神主栗原左衛門が配下なり。
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十三塚
新田明神社の後に廻りてあり、前に云へる如く、左兵衛佐義興と共に討死せし者の首を爰へ葬りしと云傳ふ、十三とはいへど今は大抵廃して、存するものは纔に四のみ、中にも百姓武兵衛が畑の中にあるものは、土民鍾鍬を當てて穿ときは必祟ありとて人恐れあへりといへり。 (新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による愛宕神社(豊岡)の由緒

古木に囲まれた愛宕神社。社伝によると、愛宕神社は当地区集落の発生と共に祀られ、その後正平16年(1361)に新田義興公の霊を合わせ祀ったと伝えられています。深い縁とざわめく風、そして奥行きのある境内が厳かな世界をつくりだしています。(境内掲示より)

「埼玉の神社」による愛宕神社(豊岡)の由緒

愛宕神社<入間市豊岡三‐七-三二(扇町屋字中台)>
当地は『風土記稿』に「正保の頃まで僅に七十石の小村なり」、また「三八の日毎に市立」とあり、農耕の地としてより、後世、日光と八王子の街道馬継の地、交通の要所として栄えた所である。
社記に、「創立は武蔵野の開発と共に天照大神を祭祀し産土神と祟む」とあり、口碑に神明社と号し地名を神明久保と呼んだとある。
正平一三年、新田義興は足利基氏を討たんとして矢口の渡しに戦死し、基氏は当地の陣屋で義興の首を実検の上、当社の傍らに埋葬する。その後、基氏の陣屋に落雷が続き、この火災は民家にまで及んだ。また疫病も流行し、義興の祟りであるとの風説が起こる。基氏は民心の動揺を鎮めるため、正平一六年、義興の像と同人所持の雷陣を描いた軍扇を神体とする新田大明神を当社に合祀する。口碑に、扇町屋の地名はこの時起こるという。しかし、当地の災害はおさまらず、元中五年の雷火は激甚を極めたため、村人は怖れて加茂別雷神社に請い、雷斧一口と雷丸一個を神体として分霊を合祀する。以来災害は起こらず、慶安二年八石の朱印を受ける。
寛政二年の境内図には、神明社・新田大明神・愛宕権現の三社合殿が描かれ、『風土記稿』には「愛宕権現新田大明神合社」とある。
明治五年社名を改め村社となり、同四〇年愛宕台愛宕社を合祀する。(「埼玉の神社」より)


愛宕神社(豊岡)所蔵の文化財

  • 志茂町屋台(市指定有形民俗文化財)
  • 入間市景観五十選指定
  • 埼玉県ふるさとの森指定
  • 首級の松(新田義興公首塚)
  • 十三塚(新田義興公従者十三騎の塚)
  • 勝海舟揮毫の扁額(愛宕山)
  • 芭蕉の句碑

愛宕神社(豊岡)の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿

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