中曽根八幡神社。江戸幕府より御朱印状を受領した町内唯一の社
中曽根八幡神社の概要
中曽根八幡神社は、比企郡吉見町中曽根にある神社です。中曽根八幡神社の創建年代等は不詳ながら、古くよりの鎮座ではないかといい、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領8石の御朱印状を拝領、吉見町の神社で幕府より御朱印状を拝領したのは、当社だけだといいます。一説には氏子の長島家の先祖が嵐山町鎌形から移住した際に、鎌形八幡神社を勧請して創建(再建)したのではないかともいいます。
社号 | 八八幡神社 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、諏訪社、三峰社 |
祭日 | 例祭旧暦9月15日 |
住所 | 比企郡吉見町中曽根384 |
備考 | - |
中曽根八幡神社の由緒
中曽根八幡神社の創建年代等は不詳ながら、古くよりの鎮座ではないかといい、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領8石の御朱印状を拝領、吉見町の神社で幕府より御朱印状を拝領したのは、当社だけだといいます。一説には氏子の長島家の先祖が嵐山町鎌形から移住した際に、鎌形八幡神社を勧請して創建(再建)したのではないかともいいます。
新編武蔵風土記稿による中曽根八幡神社の由緒
(中曽根村)
八幡社
慶安二年社領八石の御朱印を賜ふ、村の鎮守なち、當社或は【延喜式】神名帳に載る處の横見神社なりと云へど、慥なる據もなし、且つ御所村氷川社、是横見神社なる由、昔より傳あれば、當社にあらざること明けし、別當八幡山醫王院吉祥寺新義眞言宗、今泉村金剛院末、
薬師堂
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諏訪社
吉祥寺持、下同じ、
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稲荷社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による中曽根八幡神社の由緒
八幡神社<吉見町中曾根二八五-一(中曾根字三角)>
現在の吉見町の全域にほぼ相当する旧横見郡内で、朱印地を徳川将軍家から受けている社寺は、『風土記稿』によれば、慶安元年(一六四八)に家光から二〇石を拝領した御所の息障院をはじめ八か所ある。これらのうち七か所は寺院や仏堂で、神社としては、当社が唯一慶安二年に八石を拝領しているに過ぎない。横見郡内には、当社のほかにも、式内社である横見神社の後身と伝える御所の飯玉氷川明神社や、同じく伊波比神社の後身である黒岩の岩井神社、高負比古神社である田甲の高負比古根神社など、古い歴史を持つ神社があるにもかかわらず、朱印地を拝領していないことから、当時、当社が強い勢力を持っていたことが推測される。
一方、口碑によれば、当社は、氏子の長島家の先祖が嵐山町鎌形からこの地に移って来た際に、鎌形八幡神社の分霊を奉斎したものといわれ、長島家の墓碑にも延宝己未年(一六七九)に当社を祀った旨が刻まれている。この、「延宝己未年」を当社の創建の年とすると、八石の朱印地を拝領した時には、神社がなかったことになり、話が合わない。また『風土記稿』には、当社に式内社の横見神社の後身であるとの伝えがある旨が記されていることから、かなり古くから当社が存在したことがうかがわれる。したがって「延宝己未年」は、当社の再建か、鎌形八幡神社の分霊を新たに祀った年ではないかと思われる。(「埼玉の神社」より)
中曽根八幡神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)